在宅勤務

【在宅】サラリーマンの我が家にコロナで起きた家族と自分の変化(広告)

2020/05/27

ただただ普通の家庭の状況を記録として残しておく

私のコロナの前までの状況

現在、妻一人、子二人と都心に近くて遠い都市部田舎暮らしをしています。

子どもはまだ小さいので広々とした街で走り回りながら生きて欲しかったのでこうした暮らしをしています。

同時に私が東京の人混みが苦手なのもあります。

私は現在外資系金融企業に勤めています。

企業の規模もかなり大きく全世界に同僚がいます。会社としては非常に社員を大切にする会社です。

また、実際の環境も伴っているので外資の割に非常に多くの人が長期間勤めている印象もあります。

コロナの状況下になり世界中の同僚や私の知人・友人と話した結果、改めてわかったことは現在勤めている会社が世界の中でも指折りで良い会社だと言うことでした。

世界中の同僚が口を揃えて同じことを言っているのでこれは間違いないと思います。

こうした企業に勤められていることも非常に幸運でもあり、自分が選択してきたキャリア観も正しいと言うのを確信しました。

コロナの前から在宅勤務を長年してきましたが、会社へも通っていました。

勤務地までそこそこ遠いので1ヶ月で丸3日くらい電車に乗っているような計算でした。

1日平均3時間+。

年間で考えると1ヶ月以上もの間を電車の中で過ごしていることになります。

振り返るとものすごい時間とストレスを抱えながら仕事をしていたのだと自分に感心します。

世界の同僚も同様の形態だったので、あちらが自宅から子どもを寝かしつけて電話会議に参加したり、その逆もたくさんありました。

犬がワンワン鳴くのも日常茶飯事で在宅勤務をしていればこういうことはあるよね、という感じでした。

そして、私の生活も普段は子どもを幼稚園に送って、会社に行き、夜はだいぶ遊びまわっていました。

平日子どもと会うのは、朝に会議がない時に幼稚園に送る日くらいでした。(平日は私が遊びまわっているので)

家にまっすぐ帰る日でも夜は子どもが先に寝ているので、だいたい私が一人で食べるような日々でした。

それが私の「日常」でした。

 

コロナが日本にやってくる頃

12月の上旬頃から何やら怪しいニュースが飛び込むようになってきました。

まだ眉唾物だった記憶があります。

1月の中旬頃からは毎週妻に今後起こりうることについて話をしていました。

今でもそのスクリーンショットが残っていたので見てみると当時はまだ全世界で数百人程度の患者しかいなかったのを遠い昔のように感じます。

そして、1月の下旬頃から早い企業だと在宅勤務に切り替えていきました。

この頃の日本の潮流だと「やりすぎじゃない?」感があったのはよく覚えています。

ですが今となるとその決断は正しかったのだと皆思っていると思います。

私が勤めている会社でも徐々に各国に患者が現れ、日々社内の出張規定や社員の安全を守るための施策が敷かれていったのを覚えています。

まだ日本よりも影響が大きかった地域の同僚と電話会議をしていた時は彼らの心配をしていたくらいでした。

2月も下旬になる頃には私がいるチームは全員在宅勤務へ切り替えるよう動いていました。

私自身は少し手前からだったので2月の中旬前から在宅勤務をしていました。

その頃でもまだ日本はおろか、私が勤める会社の中でも「やりすぎじゃない」という声が一部から聞こえてきたので、危機感がないことを痛感したのをよく覚えています。

現段階では誰も異論を唱えませんので、この決断が正しかったことは間違いないと思います。

ただ普段から在宅勤務をしているものの長期間の在宅は想定していなかったので、この頃は在宅長期化に伴う「パフォーマンス低下」を阻止するべく自分自身やチーム、それ以外の同僚のために何ができるか、とにかく色んなことに対して手を尽くしました。

また、在宅長期化に伴い会社でやらなくてはいけないことを在宅でできるように機能的な変更を各所と行い始めた時期でした。

この頃、私が勤める会社は先進的な方であったため、社外の方への協力を要請する際にBCP*の元、対応していることを事細かに説明をしていました。

*BCP(事業継続計画)とは、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のことです。

(中小企業庁HPより引用)

 

今では各社BCPといえば通じるので何事も経験をすると人は新たな言語や環境に適応していくのだなと人事のように感じていました。

また、私の会社では在宅期間の長期化が決定し、それと同時期に子どもの幼稚園も休園となりました。

 

コロナ第一次本格期

3月に入る頃には子どもの幼稚園もなくなり、習い事も徐々に休止となっていきました。

私の会社の中では業務の都合上、まだ在宅に切り替えられない同僚も多かったのですが、私はそのタイミングで1ヶ月弱の在宅勤務をしていたので、もう既に経験値的には1週回っている状況となっていました。

一通りに在宅勤務に関するストレスなども経験しきり、対策を講じられるようになった結果、成果として出せるアウトプットはもはやオフィスにいる時と変わらない状態になっていたと思います。

同僚や友人・知人もこの頃くらいには大騒ぎを始めていた時期であったと思います。

家族の中でコロナにかかった前提で行動することやかかった時の対応はこの頃には決めました。

子どもも「コロナだから外に出るときは気をつけよう」と口にするようになってきた時期です。

 

コロナと共に家族の関係の変化

この頃から家庭での変化が現れました。

基本的に私は遊んではいるものの、育児&家事(炊事洗濯掃除)は割とやる方だと思うので、家庭への貢献はそれなりにあると思っていました。

在宅になった結果、私は外出をして遊び呆けることができなくなったので、基本的には家にいるわけです。

家にいることで何が起きるかというと家族と過ごす時間や家事をする時間が増えるわけです。

食事をするごとに食事の準備から洗い物まで、ほぼ毎日のルーティン化するようになりました。

ここは普段とものすごい大差が出たわけでは無いですが仕事+家事が一つの役割だなと認識し始めました。

一番大きな変化は子どもとの距離に現れました。

単純に子どもが今まで以上に懐くようになりました。

今までは「時々いる面白いオジさん」程度だったと思います。

が、このコロナの状況でものすごい長い間ずっと一緒にいるわけです。

完全に父親として認識されました。

上の子、下の子どちらからもものすごい懐かれるようになりました。

上の子は接触している時間が長いので比較的懐いていると思いますが、それでも上の子と私の間にもものすごい変化が現れました。

上の子は今まで妻である母親としか一緒に寝たがらなかったのですが、今は時々私のベッドへ来て一緒に寝るというようになりました。

これは我が家ではなかなかの驚きの事象です。

そして、下の子に至っては今まで私がいても甘えてくることもなければ、一緒に寝ることもありませんでした。

今では何かあれば甘えてくる上に、昼寝やソファに座っていると私の元に来て、横にぴったりくっついたり、時々そのまま寝落ちをしたりしています。

 

まとめ:そして、今

多くの方がコロナで大変な思いをしていることは理解しています。

その中でも今回のコロナでは家族の本来のあり方や距離感を見つめ直す非常に良い機会だったのではないかと思います。

同時にそれは自分の生き方を考え、見つめ直す機会となったのではないかと思います。

まだ収束からはほど遠い状況ではありますが私は少なくとも自分の人生で何をすべきか、そして、家族とどうあるべきかと見直す機会ができたと考えています。

これからもこの記事は経過によって更新をしていきたいと思います。

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